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日本郵船 貨客船 氷川丸
1930年 日本 三菱横浜造船所生まれ。



優秀船建造計画によって建造された、12000t級 貨客船3姉妹の長女。 妹の日枝丸、平安丸と共に日本郵船シアトル航路に就航。行き届いたサービスと料理で、『北太平洋の女王』と称され、人気を博した。

しかし、日米の開戦に伴い航路は閉鎖。日本海軍は彼女を徴用すると、病院船として改装し、南太平洋で負傷兵の治療と送還にあたらせた。
姉妹や仲間が次々と居なくなる中、3度の触雷に合うも、彼女は終戦まで生き残る。

そして、引揚船、国内航路、外国不定期航路を経た後、1953年、日本郵船に戻され、本来の場所、シアトル航路に復帰した。
航路を離れてから12年が過ぎていたが、彼女の人気が衰える事はなかった。
他にも新しい船がある中、多くの客が彼女との旅を選んだ。きめ細かいサービスに感動した外国人船客が、日本郵船にお礼に訪れる事も多々あったという。

1960年、日本郵船のシアトル航路撤退にあわせて、彼女は現役を退いた。
寂れていく姿を晒させたくないと、当初日本郵船は、彼女を解体する予定でいた。しかし、彼女を惜しむ声は大きく、 この声を受け、神奈川県と横浜市が日本郵船を説得。そこ結果、彼女は故郷横浜の山下公園にて、観光船として保存されることになった。

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もし彼女に会いたいなら、みなとみらい線が便利だ。渋谷からでも一本。元町・中華街駅で下車し、海に向かって5分も歩けば、すぐに彼女に会うことが出来るだろう。
桟橋にたたずむ彼女は今も美しく、北太平洋の女王と称された姿そのままに、あなたを迎えてくれる筈である。


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