日本海軍 軽巡洋艦 多摩
1921年 日本 三菱長崎造船所生まれ。
5500t級14姉妹の次女。アリューシャン作戦に参加の後、妹の「木曽」とともに、キスカ方面撤退作戦に参加。
その後は、他の姉妹たちと同じく、輸送任務に従事する。
1944年10月24日、第11水雷戦隊としてレイテ沖海戦に参加。小沢囮艦隊の護衛として、生きて帰れぬ任務に就く。
25日 エンガノ岬沖海戦にて交戦中、航空魚雷1発を受け大破。戦列維持が不可能になったため、本隊と別れ、単艦で呉への帰還を計る。
しかし同日、ルソン海峡にて米潜水艦「ジャラオ」に発見され、雷撃を受ける。
「ジャラオ」は魚雷4本を発射、内3本が「多摩」の、艦橋下、船体中央、後部艦橋下と、急所に立て続けに命中した。
大破した船体、そして深夜では、回避もままならなかったであろう。
23時5分、彼女は、すべての乗員とともに、わずか5分で海中へと没した。